[PR]子育てママさんへ:3年毎に15万円うけとれる保険?

東長寺
福岡県福岡市博多区御供所2-4
Touchou temple
宗派
真言宗 (真言密教)
本尊
弘法大師像(伝 弘法大師自作)
木造千手観音菩薩立像 (国指定重要文化財)
不動明王立像(伝 弘法大師作)

gate 東長寺は大同元年(806年)に弘法大師空海によって開かれた真言宗九州教団の本山で、弘法大師創建としてはもっとも古い寺院です。山号は南岳山。九州八十八ヵ所霊場の第一番とされてもいます。
唐での修行を終え帰日した弘法大師が博多の港に到着した際、一軒の船宿を買い取り、仏像や教本・仏具などを納めてそこを寺としたのが起源とされています。真言密教が東漸するようにと祈願して「東長密寺」と名付けられました。当初は博多の海辺だった行町(町名は「勤行」に由来)にありましたが、幾度か移転し、現在の地に定まったのは福岡藩二代藩主黒田忠之によるものです。
畳敷きの広い本堂には、弘法大師自作と伝えられる弘法大師像、平安時代に製作された国指定重要文化財の木造千手観世音菩薩立像、弘法大師作と伝えられる不動明王立像の三体が据えられています。普段は千手観世音菩薩像と弘法大師像の厨子は閉じられており、正御影供のときに開帳されます。
the Honzons
本尊
左から不動明王立像・千手観音菩薩立像厨子・弘法大師像厨子
spacer
hexagon temple 市指定文化財の六角堂は、弘法大師像・薬師如来像・白衣観世音像・地蔵菩薩像・文殊菩薩像・北辰霊符神像の6体の仏像を安置する六角の輪蔵(回転式の厨子)と、輪蔵を雨露から守る六角の覆屋からなっています。毎月28日の不動護摩供のときは扉が開け放たれます。天保13年(1842年)に博多在住の豊後屋栄蔵(万歳楼袖彦)が名古屋の堂宮大工の伊藤平左衛門を招いて櫛田神社横の神護寺に建立・寄進したものを、明治の廃仏毀釈の際に東長寺境内に移築し現在に至ります。
内部の厨子の扉には聖福寺の住職だった仙豪`梵や、当時の著名人の筆による書画が刻まれています。
Ksiti Garlbha
六角堂内の地蔵菩薩像
spacer
大仏殿・宝物殿には平成4年(1992年)に建立された高さ10.8メートルもの博多大仏が鎮座しています。素材は檜で、重さは30トン。光背の高さは16.1メートル。大仏の高さは煩悩の数になぞらえたものです。木造座像としては日本で有数の大きさで、大仏の台座の中はトンネル状になっており、地獄の描写のあと戒壇廻りのように真っ暗で曲がりくねった通路を手摺を伝って進むと極楽の場面に到着するというようになっています。観覧は無料。
また宝物殿には本能寺の変の間際に島井宗室が持ち出した弘法大師千字文や弘法大師の真筆とされる「東長密寺」の寺号額が所蔵されており、また南北朝時代の十一面観音像や慶長年間の多聞天像などが公開されています。
そのほか敷地内には二代藩主黒田忠之・三代藩主光之・八代藩主治高の墓所があり、うち忠之の墓石は徳川秀忠夫人崇源院の墓(高野山)についで全国で2番目の大きさの花崗岩製の五輪塔です。初代藩主長政とその父孝高の菩提寺は千代の崇福寺ですが、忠之は黒田騒動ののち東長寺の大壇越(施主)になったことから東長寺に埋葬されました。
明治元年(1868年)に神仏分離令が発布されるまで、東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していたことから、博多祇園山笠では東長寺の前の大博通りに清道旗が立ち、正門前に居並ぶ住職たちを前に舁き回る習慣が残っています。神護寺は現在の櫛田会館の所にあり、東長寺の六角堂は明治7年(1874年)に神護寺が廃されるときに東長寺に移築されたものです。
Lord Tadayuki KURODA's tomb
黒田忠之公墓所(中央)
spacer

おもな祭礼
1月28日初不動
2月3日節分祭 豆撒き
3月21日正御影供〔しょうみえく〕(弘法大師の正忌日) 本尊の開帳
5月28日不動尊祭(お不動さん(不動明王)の縁日)
6月15日弘法大師誕生祭
8月16日大施餓鬼会
10月20日上砂加持法要
旧暦10月最初の亥の日
(新暦11月中旬)
一番亥の子(境内の魔利支天堂で家内安全・無病息災を願う)
毎月28日不動護摩供
(六角堂開帳)
毎月1日大仏祈願祭

交通アクセス
福岡市地下鉄 「祇園駅」から5分
西鉄バス 「祇園町」「奥の堂」から5分

spacer
インデックス

[PR]三井住友海上きらめき生命:医療保険のご案内と資料請求はこちらから