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宇美八幡宮
福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1
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身重にもかかわらず三韓遠征(西暦200年ないし391年)を自ら指揮した息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)こと神功皇后は、帯で巻きつけた石でお腹を冷やすことにより出産を遅らせ(この帯が腹帯のはじまりとされています)、戦勝し凱旋帰国したところで、のちに応神天皇となる品陀和気命(ほむだわけのみこと)を出産したとされています。古事記の記述では出産に際して産殿を造営したのは筑紫の国の蚊田の里であるとされており、皇子が産まれた地であることからその地を「うみ」と呼ぶようになったと言われています。また産まれた場所を皇子出生の聖地として奉ったのが宇美八幡宮の始まりとされています。宇美八幡宮は敏達天皇の治世3年(574年)に社殿が創建され、その後平安時代には既に安産祈願がおこなわれるようになり、江戸時代には福岡藩主黒田家によって社殿の修復や神領の寄進などがなされています。明治5年(1872年)には村社格に、明治24年(1891年)には県社格に列格されました。 現在でも安産や育児のご利益がある神社として妊婦や親御さんなどの参拝が絶えません。
本殿左後方にある湯方社には、皇子の出産の際にお産の職を務めた女官が祀られています。よって妊婦や助産師から篤い信仰を受けています。ちなみに、息長足姫尊から腹帯を貰い受けたこの女官が婚儀のときにその帯を頭に巻きつけたのが、こんにちの角隠しの始まりとされているそうです。
湯方社の横には数多くの拳ほどの大きさの石が据えられています。これは「子安の石」と呼ばれるもので、安産を祈願してこの石を借りて持ち帰り、安産した暁には借りた石とともに別の石に子供の名前等を記して奉納し、子供の成長を祈願するという習慣になっています。 湯方社の右側には息長足姫尊とが幼子の品陀和気命を腕に抱いた聖母子像があります。台座には山上憶良の短歌「銀も金も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」が記されてあります。 ![]() 湯方社 ![]() 子安の石 ![]() 聖母子像
湯方社のほか、宇美八幡宮には息長足姫尊と品陀和気命の逸話にまつわるものがあります。
境内左奥にある「産湯の水」は、品陀和気命の産湯として汲まれたとされる湧水で、現在でも安産を祈願して口にしたり、産湯に混ぜて子供の成長を祈ったりといったように用いられています。 本殿の右側にある「湯蓋の森」と呼ばれる楠の大木は、品陀和気命が産湯につかったとき、この木の枝葉が茂っていてまるで蓋のように湯槽を覆っていたことからこの名が付けられたものです。また本殿と産湯の水の間に位置する「衣掛の森」と呼ばれる楠の大木は、品陀和気命の産着を枝に掛けたことから名づけられたものです。両方の古木とも大正11年(1922年)3月8日に当時の内務省によって国指定天然記念物に指定されています。 本殿の左側には「子安の木」という槐の木が育っています。息長足姫尊が産綱代わりに槐の枝を掴んで品陀和気命を出産し、その槐の枝を土に植えたものがいつしか茂り、また種子から育った木に植え替えられ、こんにちに残っているものなのだそうです。子安の木の枝は昔は安産のお守りとして出産の際に産婦が握ったりしていたといいます。 境内にはそのほか、神功皇后のみを祀った聖母宮、楠森稲荷社、恵比須社、武内社といった社があります。また、神楽殿、弓道場、相撲場、宇美町で出土した発掘品などを展示する宇美町立歴史民俗資料館、子安餅が食せる宇美八幡茶屋などといった施設もあります。 ![]() 産湯の水 ![]() 湯蓋の森 ![]() 聖母宮 ![]() 楠森稲荷社
本殿裏手から境内を出、宇美川を渡ったところにある小山の宇美公園内には奥宮(上宮)があります。また正門から真っ直ぐ500メートルほどの井野山の麓には屯宮があります。
![]() 奥宮
おもな祭礼
観覧概要:宇美町立歴史民俗資料館
交通アクセス 西鉄バス 「宇美八幡前」すぐ JR九州香椎線 「宇美駅」から15分 |
インデックス
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